日本人であることの再認識。「永遠の0」の舞台・真珠湾に浮かぶ「戦艦ミズーリ」
ハワイ州政府観光局さんのご招待でハワイ諸島を訪れました。
ハワイ島、カウアイ島に続く最後の島、オアフ島。
この島に訪れる日本人は多くても、ここに訪れる日本人はあんまりいないのではないでしょうか。
今回訪れたのは、日本人なら知らない人はいない 第二次世界大戦の幕開けの地、真珠湾です。
オアフ島からバスで30分。
真珠湾には「アリゾナ記念館」「太平洋航空博物館」「戦艦ミズーリ」など多数の施設がありますが、今回は日本人スタッフ・談さんに「戦艦ミズーリ」をご案内いただきました。
さっそく戦艦へ。
この日(2014/11/11)は第二次世界大戦の兵士の方々が戦艦を訪れるメモリアルデー。戦艦にはカラフルな旗が飾られ、艦内には多くの元アメリカ兵の方々がいらっしゃいました。
↓こちらが、重さ1.2tの砲弾を37Km先まで飛ばせる主砲。
37Kmって…(@_@;)
なぜこの戦艦が施設として残っているのか。
それは「ポツダム宣言」の調印がまさに行われた場所だから。
この戦艦が東京湾まではるばるやってきて、この艦上で、マッカーサー元帥の前で、重光葵が降伏文書に調印したのです。
ここが、まさに調印式が行われた場所。
マッカーサー元帥が調印日当日に現れた階段。
日本軍の”上”から登場したり、予定にないスピーチを勝手にしたりと、日本をここぞとばかり貶める施策が数多く実行されたとか。
極み付けは降伏文書のレプリカ。
連合国代表の内、カナダ代表が日本用の文書の署名欄を間違え、それをそのままうやむやにしようとしていた話には驚き…
代表団はさぞかし悔しかっただろう…
と思いながらも、しかし、日本の誇らしさを感じられるところもありました。
↓正装ではなく、軍服で参加する代表団。
米軍からは正装の指令が来ていたものの、軍人であるという誇りから指令に反して軍服で参加したとのこと。
そしてこの「神風特攻隊 衝突跡」。
鹿児島の基地を出発して太平洋を横断し、ついに敵船に突撃することができた突撃の跡が今でも戦艦の脇に残っています。
残念ながらその戦闘機に搭載されていた爆撃機は不発弾で、乗組員も死亡。
しかし、そこでアメリカ軍がとった行動に驚き。
普通なら攻撃でダメージを与えられた敵の遺体なんて粗末に扱うもの。
しかし、ミズーリ戦艦の艦長が「国のために命を投げ出して働いた者同士、国が違っても変わりはない」として、周囲の反発を押さえ、水葬してくれたのです。
この足あとが、実際に、水葬に送り出された場所。
送り出す人の気持ちを、送り出させた日本人として想像するととても複雑です。
250万部以上を売り上げ、文庫本販売部数 歴代1位の書籍「永遠の0」。
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この書籍にも、この史実がもとになった一節があります。涙なしには読めません(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)
ちなみに私はイタリアに行く機内の中でひとり号泣しながら読破し、感動のあまり現地の方に「絶対読んで!!」と手渡して帰ってきました…
また、戦艦ミズーリからはアリゾナ記念館も見えます。
このアリゾナ記念館、海上に浮かんでいるのですが、
なんとこの真下に、真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナ号がその当時のまま眠っているんです。
沈没当時、艦内にいた1000人余りの船員たちのご遺体も、そのまま。
アメリカは水葬の文化があるため、敢えて引き上げず、海に眠っているのだそうです。
メモリアルデーの式典の最中、戦艦内にアメリカ国歌が。
すると小さな子供から大人まで、アメリカのが全員立ち止まり、目をつぶって、脱帽して、国家を斉唱し始めました。
艦内を見渡すと、動いているのは外国人のみ。
アメリカの強さは、国家としての強さだけでなかく、国民一人ひとりによってできているのだと認識させられました。
今の日本では、ありえません。
いろんな思いを胸にして、戦艦を後に。
振り返ると、真珠湾に、綺麗な虹がかかっていました。
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ちなみに戦艦ミズーリに勤務する談さんの職務室はミズーリ戦艦内にありました。笑
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今回ご招待いただいたのはこちらのプレスツアー「ハワイ州政府観光局」さん
Travel with 石田言行 清水直哉 小泉翔 小野美由紀 窪咲子
All photos by 詩歩
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